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ⓘ アンドレアス・ミケルセン (諾: Andreas Mikkelsen 、1989年6月22日 - )は、ノルウェーオスロ出身のラリードライバー。2011年、2012年のインターコンチネンタル・ラリー ..




アンドレアス・ミケルセン
                                     

ⓘ アンドレアス・ミケルセン

アンドレアス・ミケルセン (諾: Andreas Mikkelsen 、1989年6月22日 - )は、ノルウェーオスロ出身のラリードライバー。2011年、2012年のインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)のチャンピオンである。

                                     

1.1. 来歴 初期の活動

幼い頃から運動神経が良かったミケルセンは、アルペンスキーのダウンヒル競技の有望選手として、12歳の頃にはノルウェーのジュニアチームのメンバーに選ばれた。また、モトクロスでもナショナルジュニアチームに選ばれている。しかし、膝の怪我のためスキー選手の道を断念し、2006年にラリー競技へ転向した。

イギリスへ移住して17歳で運転免許を取り、ローカルラリーに出場して経験を積む。2006年のラリーGBにストバート・フォードのフォーカスWRC04を駆りWRC初出場。2007年はWRC8戦に出場し、3戦でトップ10フィニッシュを記録した。2008年のWRC第3戦スウェーデンで5位に入賞し、WRC最年少入賞記録(18歳7カ月)を残した。同年のノルウェーラリー選手権ではマッズ・オストベルグに次ぐシリーズ2位を獲得した。

                                     

1.2. 来歴 IRC連覇

2010年はMスポーツのフォード・フィエスタS2000を駆りIRC7戦に出場し、シリーズ7位。

2011年はシュコダのサテライトチームであるシュコダUKのファビアS2000を駆りIRCにフル参戦。2013年よりWRC参戦を表明しているフォルクスワーゲン(シュコダの親会社)の若手評価プログラムにも選ばれる。IRC第10戦スコットランドで初優勝をマークして5名によるチャンピオン争いに加わると、最終戦キプロス・ラリーでも連勝し、ランキング4位から逆転でシリーズチャンピオンを獲得した(22歳の最年少王者)。

2012年もシュコダUKよりIRCに参戦し、優勝2回・2位5回という安定した成績を残し、IRC連覇を達成した。翌年よりIRCがヨーロッパラリー選手権 ERC に併合されるため、ミケルセンは最後のIRCチャンピオンとなった。また、フォルクスワーゲンのWRC準備プログラムにも起用され、セバスチャン・オジェとともにWRCでファビアS2000をドライブした。

                                     

1.3. 来歴 フォルクスワーゲンでの成長

2013年はWRCに参戦するフォルクスワーゲンの正式ドライバーに選ばれた。エース格のセバスチャン・オジェとヤリ=マティ・ラトバラに次ぐサードドライバーとして、サテライトのフォルクスワーゲン・モータースポーツIIに所属する。第4戦ポルトガルからレギュラー参戦し、最高成績4位・ドライバーズランキング10位でシーズンを終えた。

2014年は第2戦スウェーデンで2位初表彰台を獲得。その後も4度の表彰台を獲得し、年間ランキングではオジェとラトバラに次ぐ3位になった。

2015年は第2戦スウェーデンで初優勝を目前にした最終SSで痛恨のスピンを喫し、オジェに勝利を譲った。第12戦スペインでは逆に独走していたオジェが最終SSでクラッシュし、WRC64戦目のミケルセンに初優勝が転がり込んだ。先に走行を終えていたミケルセンはインタビュアーから自分の初優勝を知らされ、唖然としたあと喜びを爆発させた。年間ランキングでは、2位のラトバラに12ポイント差の3位となった。

2016年は第7戦ポーランドと最終戦オーストラリアで2勝。年間ランキングは3年連続3位ながら、不振のラトバラ(6位)を上回る成績を残した。しかし、シーズン終盤にフォルクスワーゲンがWRC撤退を表明。オジェはMスポーツ、ラトバラはトヨタへの移籍を決めたが、ミケルセンは来期のレギュラーシートを失ってしまった。

                                     

1.4. 来歴 ヒュンダイ加入

2017年は一時的に古巣のシュコダに再加入し、WRC2クラスにスポット参戦。開幕戦モンテカルロと第4戦ツール・ド・コルスを圧勝して格の違いを見せた。また、開発を手がけていた2017年型ポロR WRCを調達し、プライベーターとしてWRCに参戦する計画を進めたが、国際自動車連盟 FIA の追加公認を取得できなかった。その後、シトロエンとスポット契約し、クリス・ミークの代役として第7戦イタリアからWRCに復帰。そして第11戦スペインからヒュンダイに加入し、来期以降の2年契約も交わした。

2018年は2年振りのフル参戦を果たす。第2戦スウェーデンでは3位表彰台を獲得しまずまずのスタートを切るが、その後はチャンピオン争いを演じるチームメイトティエリー・ヌービルとは対照的に中盤から失速。結果的に表彰台はスウェーデンの1度のみとなり年間ランキング6位で終えた。

2019年も引き続きヒュンダイから参戦。当初は前年と同じくフル参戦の予定だったが、開幕3戦での成績が振るわず第4戦コルシカ、第7戦ポルトガル、第13戦スペイン、最終戦オーストラリアのノミネートを外された。しかし第5戦アルゼンチンでは優勝したチームメイトティエリー・ヌービルに次ぐ2位表彰台を獲得。その後も第8戦イタリア、第11戦トルコで3位表彰台を獲得し、前年フル参戦した時とは違い抜群の安定感を見せチームのマニュファクチャラーズチャンピオン獲得に貢献した。年間ランキングでもチャンピオン争いを繰り広げたタナク、ヌービル、オジェに次ぐ4位となった。しかし、カタルニア終了後にチャンピオンのタナクのヒュンダイ加入が発表。チームメイトのヌービル、ローブは複数年契約中、ソルドは既に20年の契約を締結していたこともあり、ミケルセンは19年限りで退団となった。19年末のシトロエンの撤退の影響もあり、トヨタ、Mスポーツからはワークス契約を得ることが出来ず、2020年はWRC不参戦が濃厚となっている。

                                     

1.5. 来歴 浪人生活

2020年6月、2021年からタイヤのサプライヤーを勤めるピレリの開発ドライバーに抜擢、シトロエン・C3WRCを3年ぶりに駆る。第6戦サルディニアでのシェイクダウンとパワーステージでピレリ最新型タイヤのデモンストレーション走行のためにペター・ソルベルグと共にC3WRCのステアリングを握った。そしてスポットでありながらERCの終盤2戦にシュコダ・ファビア R5エボで参戦。第4戦ハンガリーではかつての相棒であるオーラ・フローネとのコンビを一時的に復活し見事勝利を挙げた。最終戦のカナリアスからはコ・ドライバーをアンダース・イェーガーに戻したが序盤での遅れが響き6位に終わる。しかしこのハンガリーでの優勝もありERCランキング5位となった。一方WRCでは最終戦モンツァからWRC3クラスにスポット参戦し優勝、総合でも6位に食い込んだ。

2021年はシュコダのワークス支援を受けるTokスポーツWRTからWR2クラスに参戦。

                                     

2. エピソード

  • ティエリー・ヌービルはIRC時代から競い合ってきた同世代のライバルであり、ともにモナコに住み、一緒にトレーニングをする友人でもある。2017年からはヒュンダイのチームメイト同士になった。
  • 2019年の固定ナンバー制度により「89」を選んだ。これは自身とコ・ドライバーのアンダース・イェーガーが生まれた1989年からとったものである。
  • 2006年にラリーデビューして以来、20歳年上のコ・ドライバーのオーラ・フローネ Ola Fløene と長くコンビを組んできたが、2015年末に関係を解消した。ミケルセン側が契約期限を「2016年まで」に区切ったため、フローネは新たなパートナーにマッズ・オストベルグを選んだ。しかし2020年のERC第4戦ハンガリーで一時的にコンビを復活し優勝したのをきっかけに、2021年シーズンおよそ6年振りにフローネと組むこととなった。
  • 北欧系の整った顔立ちをしており、「WRCきってのイケメン」と評される。
  • 2009年、ノルウェー選手権のRally Larvikでコースオフしたミケルセンの車が観客と接触し、その事故で家族と共にラリーを観に来ていた10歳の少女が亡くなった。それ以来、ミケルセンはヘルメットの後部に「Elise」という彼女の名前を記している。
                                     

3. 外部リンク

  • Andreas Mikkelsen amikkelsenrally - Instagram
  • Andreas Mikkelsen AMikkelsenRally - Twitter
  • Andreas Mikkelsen - Facebook
  • 公式ウェブサイト